PR広告

  

Posted by at


楽天と巨人の日本シリーズ。劇的な展開で最高でしたね。

星野監督の指導者としての手腕がクローズアップされてます。

阪神が2003年に優勝したときもそうですが、星野監督の人間性を表す
幼少期のエピソードが出てきます。

この話を聴くといつもジーんときますね。

他文献からの引用ですがご覧ください

========================================================

星野仙一さんは、小学校時代を岡山県の倉敷で過ごされたそうです。

同級生に、筋ジストロフィーという重い障害を持った定金正憲君という友達がいました。

彼は学校に行くのをいつも嫌がって、お母さんを困らせていました。

星野さんと同じクラスになってからは毎日、喜んで学校に行くようになりました。

星野さんが定金君を毎日、背負って登校してくれたからです。

定金君は放課後も楽しそうに、星野さんが野球をしている姿を眺めていました。

星野さんはどんなに練習が厳しくて疲れていても、

練習が終わると、定金君を背負って彼の家まで送って行きました。

星野さんは学校だけでなく、遊び場にも定金君を連れて行きました。

雨の日には定金君が濡れないように、リヤカーに乗せて連れていったそうです。

定金君との交流は、小学校を卒業して大人になっても続きましたが

残念ながら、彼は41歳で亡くなってしまいます。

亡くなる少し前にも、定金さんは、

「がんばってください。優勝してください。いつも僕は見ています。」

と星野さんに話していました。

残念ながら、星野監督が優勝したのは定金さんが亡くなった2週間後でしたが

定金君のお母さんは

「息子が41歳まで生きられたのは、星野さんのおかげです。

 息子はいつも星野さんの活躍を見て、夢と希望をもらっていたんです。

 息子にとって星野さんは、同級生で神様だったんです。

 息子は幸せだったと思います。感謝しています。」

と話しています。

幼い頃にお父さんを亡くされた星野さんの幼少時代は

恵まれたものではありませんでした。

貧乏だったので、お母さんが苦労してグローブを買ってくれた時に

これでグローブを借りないで野球ができると喜んだそうです。

そんな状況で、友達に尽くすことができたのは

元気に野球ができる幸せに気付いたからではないでしょうか。

持っていないものを嘆くよりも、与えられていることに感謝することの大切さを

友達から教えられたのでしょう。

========================================================
(ここまで)


この話を聞いて、僕は自分の息子にも

「不器用でいいから、心の温かい人間になってほしい」

そう思いました。


あっ、息子に期待するまえに、自分がそうならないといけないですね。





  

Posted by kosshii46 at 10:30Comments(0)日々のできごと