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あれよのままに10回目を迎えました。

こんなに長くなるとは予想外です(笑)

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回 【阪急ブルーインズとの出会い

第四回 【人事異動(1998)】

第五回 【上昇気流(1998~1999)】

第六回 【西へ・・(1999)】

第七回 【決断~リスタート(2000)】

第八回 【越野宝商に入社(2000~2001)】

第九回 【ブルーインズの躍進(2000)】


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少しづつ、仕事にも馴れていき、営業も独り立ちできるようになりました。

でも「営業」という名の「御用聞き」ですね。


宝飾業界の大きな特徴として、

「委託販売」

が挙げられます。

我々のように商品を作る、製造卸は、

実際、販売のフロントとなる、小売店に対して、

商品を貸し出すのです。


そして、それがユーザーに対して売れて初めて納品と言う形で
売上となるのです。


小売店の立場からすれば、

お客さまの要望に耳を傾けて、

自社の在庫になければ卸問屋各社に商品を問い合わせを
して取り寄せて商売をすることが多いんです。


また小売店の販売員とお客さまは密接な人間関係で成り立ってることが多く、

「何を買うかよりも誰から買うか」

商品の特性上、そういった傾向が顕著な業界でもあります。


一方、お客さまからすれば信頼できる販売員の提案を
とても受け入れる傾向があるんですよね。


つまり裏を返せば、販売員は自分の好きな商品をおススメできるわけです。


そこからが面白いところで、

先の委託販売の性質上、

売れる販売員にはたくさんの商品が集まるわけです。


そして売れる販売員も人間ですから、

商品の良し悪しに加えて、卸問屋の担当との人間関係が絡んで、
「この問屋の商品を売りたい」

そんな意向が働いてくるんですよね。


もしかしたらどの業界でも、そういった人間関係の濃さが
影響してくるのは必然なことかもしれませんが・・。


そんなわけで、結構人間関係を築くのに苦労を重ね、

そして理不尽な思いをすることもありました。


またお店がセールなどのイベントをするときには

まとまった商品を貸し出しをしたりします。


そのセール期間が終わった後に商品を返却回収するのですが、

その回収の際に貸し出した数と同数が返却される。


いわば、商品が売れてないことを示しており、

我々の業界では

「ボウズ」

と称したりもしますが、そんなことも多々ありました。



ちょっと説明が長くなりましたが、

非常に

「他力本願」

的な要素が強い商売の仕組みであったと思います。


また一方で、多くの商品を在庫を持つ必要があるので、

非常に在庫金額も膨れ上がり、リスクの高い商売であることも

特徴だったと思います。


在庫してる金額分を、利回りの高い金融商品に投資してる方が
ええんちゃうのって思ってしまうようなビジネスモデルでもあります。



今となってはこうやって冷静に商売の仕組みを分析できますが、

当時の自分はまったくそんな意識もなかったと思います。


お恥ずかしながら、

会社の損益分岐点であったり、

キャッシュフローであったり、

経費がどれだけかかってるねん

などほとんどがわかっていなかったように思えます。


今、思い起こせば、驚くほどに意識の低い宝石屋の二代目

だったのかなって思います。


よく、父親から

「サラリーマン根性が抜けてない」

そう叱咤されましたが、当時はそんな声も右から左。


後になって父親の言うことがごもっともだと気付くようになるのですが・・



着実に業界は衰退の一途を辿ってました。


それも今、思えばわかること。


当時は、何の危機感もなく、平凡な会社生活を送るのみでした。



それから数年後、とんでもない危機が会社に訪れることを
知る由もなく・・・。





  

Posted by kosshii46 at 10:39Comments(0)社会人の振り返り