今日も元気に更新です!

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回 【阪急ブルーインズとの出会い

第四回 【人事異動(1998)】

第五回 【上昇気流(1998~1999)】

第六回 【西へ・・(1999)】

第七回 【決断~リスタート(2000)】

第八回 【越野宝商に入社(2000~2001)】

第九回 【ブルーインズの躍進(2000)】

第十回 【意識の低い宝石屋の二代目(2001~2005)】

第十一回 【阪急ブルーインズ二度目の挑戦(2001)】

第十二回 【阪急ブルーインズXリーグ昇格(2003)】


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フットボールが充実してる、一方。

仕事は平凡な日々。


っていうより自身の意識の低さが平凡に思わせる大きな原因のひとつ。


今だから白状できますが、

感覚としては、週末のフットボールのために、

平日は仕事をしながら週末に向けて余力をつけてるという感じ・・。


一方、巡航速度でありながら、

宝石業界の色々なノウハウを身に付けたのはこのころだったと思います。



今でも宝石と言うと、海外に買い付けに行って買ってくるものというイメージを
多くお持ちの方が多いかと思います。


中には、「宝石がたくさん眠った鉱山を当てたら大金持ちちゃうの?」

そんな夢見話をされる方も多いです。


自分の会社も、ルビーやサファイヤなどの宝石が有名なカラーストーン(色石)
を中心にした製品を取り扱っていたので、


本来なら、定期的に海外買い付けが必要ではありましたが、


僕の入社時には信用できるブローカー(宝石を現地で仕入れてくる輸入者)から
買うことが多くなってました。


それ以前には父親もよく海外に行ってたようですが・・・。


つまりは、その時点で、国内で宝石を販売することが下降曲線を辿っていて、
買い付けにいくだけのコストが商品に転嫁できなくなってました。


実際、現地で宝石を見て学ぶのがベストではあったものの、
なかなか行く機会が少なくなり・・。


でも、父親が当時よく言ってたのが、

「たくさんの宝石を見ること、それが今後に繋がるんだ」と。


確かに、今は宝石のリフォームを中心としてお店をしてますが、

そこにお持ちになられる石のある程度の評価をできるのはこのころの蓄積があったからこそ
だと思います。


あとは、話が少し前後しますが、


この仕事を始めて、面食らったことが・・。


ほとんどの得意先の代金回収が、「集金」によるものでした。


それに加えて、小切手などをもらえるのは言いのですが、


中にはとてつもない回収サイトの「約束手形」をもらうことも少なくはなかったです。


当時は財務関係の仕事の100%を社長である父親がしていたので、
そこまで思わなかったのですが、


ほんのちょっと知恵と経験を蓄えた今の自分が振り返ると、

「なんて、リスキーな仕事なんや・・」

って思いますね。


ただ当時は、まだまだ日本経済の先行きもそこまで悲観されていなかったので、

商習慣として、売上回収に関する意識は今ほどなかったのかもしれません。


このリスクがいっぱい詰まった状況が、この後に飛んでもない会社の危機を招くことになります。


そんなこともいざ知らず、マイペースに仕事をしてました。


この頃には、なんとなく仕事にもなれ、

自分で仕事を生み出す術も身に付けるようになりました。


アメフトのチームに多くいた、

「阪急百貨店」の社員の人間関係を通じて、

デパートの催しなどに出品をするようになったのもこのころ。


自分の力でほんの少しですが、

会社の売上に貢献できるようになったのもこの頃でした。



そんな時に驚くようなことが起こりました。


大口得意先の倒産。


寝耳に水とはまさしくこのこと。


会社の危機管理が足りなかったといえば、それまでですが、
本当に突然のことでした。


有名デパートに入っている宝石店


早速、親父の指令を受けて、その宝石店の事務所へ
(事務所はデパートとは違うところにありました)


すると、人の気配すらなく・・。

確か、張り紙か何かが、張ってあったような気が・・。


本当に慌しい日々が始まりました。


何か、信じられない思いと、暗闇に突き飛ばされたかのような思い。

増長する不安との戦い。


一体どうなるんやろ・・・。


ノホホンと仕事をしてた、ツケが回ってきた。


そんな冷静に考えれるほどの余裕もまったくなく。


でも情けないことに当時の自分には、打開できるだけのチカラは
まったくなく、


親父の経営者としての判断に委ね、

自分はできることをするしか術はありませんでした。。。


「あの時には二度と戻りたくない」


今でも強く思ってます。


一方で、あの得意先の倒産が無かったら、今の自分はない。

そうとも思ってます。



日々、仕事をする中で、どうしても自分に甘えて楽をすることもあります。


そんなときに思い出すようにしてます。


目の前が真っ暗になって、路頭に迷いそうになったあの時のことを。






  

Posted by kosshii46 at 14:22Comments(0)社会人の振り返り
ブログを書かない日は

一気にアクセス数が低くなります(汗)

今週もボチボチがんばります。

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

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第七回 【決断~リスタート(2000)】

第八回 【越野宝商に入社(2000~2001)】

第九回 【ブルーインズの躍進(2000)】

第十回 【意識の低い宝石屋の二代目(2001~2005)】

第十一回 【阪急ブルーインズ二度目の挑戦(2001)】


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本来は時系列をベースに、

仕事とプライベートをいったりきたりできたらいいのですが、


前のコラムでも書いたように、この2000~2005あたりは、

フットボール > 仕事

って感じだったので、フットボールの思い出が多くを占めてしまってます。

親父、ゴメン・・・。

ってことで今日も、フットボールの話で。


さて、2年連続入れ替え戦敗退。


たちはだかる大きな壁。


その現実を受け止め、「3度目の正直」を胸に2002年を迎えた阪急ブルーインズ。


ただ、思わぬ形で「一部昇格」を果たすことに。


一部リーグに所属するチームがとある事情で、下位のリーグに降格することに。

その結果、阪急ブルーインズが一部リーグに

「自動昇格」

することになったんです。


ちょっと拍子抜けするところもありましたが、

入部した当時には、

考えもしなかった、「Xリーグ」でプレーすることが現実となりました。


家業に甘え、練習の参加率も高く、

個人的なトレーニングも非常に充実していた時期です。

さらにはチームにおいては

「副将」

という立場をいただきとてもよい経験をさせてもらったのもこの時期かと思います。


松下電工インパルス

アサヒ飲料チャレンジャーズ


学生時代に名を馳せた選手がたくさんいるチームとの対戦。

「ビビらない・・」

と言ったらウソです。。


もちろん大差で木っ端微塵にされるんですが、

どこかチームに開き直りもあって、

ひたすら玉砕を繰り返していって立ち向かっていきました。


周囲の前評判通り、

全敗で最終節を迎えました。


この年はフットボールの聖地とも言われた

「西宮スタジアム」

の最後の年でした。


最終節は、この聖地「西宮スタジアム」

でファイニーズと対戦しました。


試合は、両軍ディフェンスチームの健闘もあって、

終盤までスコアレスのドローが続きました。


本来、僕はディフェンスの選手なので、この展開には

鼻が高くなるところなのですが、


実は、このゲーム。

チーム事情によって僕はオフェンスの助っ人的選手でした。


試合終盤、膠着した状況の中、得たワンチャンス。


忘れもしません。


相手ゴール前に迫り、タッチダウンまで残り数ヤード。


エースランニングバックでもあり、チームの看板でも
ある井岡にボールを集めました。


中央のプレーをひたすら繰り返し、タッチダウン。


実は、その井岡のランをサポートして走路を切り開く
フルバックというポジションに僕はいました。


馴れないポジションでしたが、ひたすら前に前に。


チーム全員の気持ちでもぎとったタッチダウン。


今でもその光景は忘れません。


そして、そのまま試合終了。


学生時代に慣れ親しんだ、

西宮スタジアムで得た、Xリーグでの初勝利。



当時のブルーインズの関係者で、


「思い出に残る一戦」


を投票したらきっとこの試合が上位にランキングされるかと思います。



さらなる飛躍を願って、

ブルーインズは2年目のXリーグでのシーズンを迎えます。




  

Posted by kosshii46 at 12:51Comments(0)社会人の振り返り
仕事とフットボールがいったりきたりになってきました(笑)


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第五回 【上昇気流(1998~1999)】

第六回 【西へ・・(1999)】

第七回 【決断~リスタート(2000)】

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第九回 【ブルーインズの躍進(2000)】

第十回 【意識の低い宝石屋の二代目(2001~2005)】


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前回の記事でも書いたように、

当時、ほんと仕事に対して意識が低かったせいもあり、2000年代の前半は

仕事を振り返ってもなかなか思い起こせないんですよね。


一方で、フットボールに関しては、

印象に残ってることが多いのがこの時期です。


前年、躍進を遂げた阪急ブルーインズ。


メンバーのモチベーションも高く、シーズンを迎えるまでのオフシーズンから、

皆の意識の中には、

「入れ替え戦の勝利」

という誰も異論を挟むことのない、絶対的な目標が共有されてました。


目標を共にする。

ということはとてつもないパワーを発揮する。


そう感じるシーズンでもありました。


昨年、一気にリーグ優勝まで上り詰めたのですが、


このシーズンは同リーグのチームは

「打倒阪急」

で挑んできました。


ただ、そんな果敢な挑戦も、

当日のブルーインズのモチベーションの高さ、そして
チーム力の向上が上回り、見事に返り討ちにして勝利を重ねていきました。


どの試合も僅差をものにして勝利したかと思います。


本当にチカラをつけつつあったのがこのシーズンだったと思います。


さて、当時のブルーインズを語るにおいて、

忘れてはならない人がいます。


昨年までのヘッドコーチ(今季はまだ未定)

福井 健司さんの存在。


当時、ブルーインズにはコーチと呼ばれる存在がほぼいない状況でした。


そんな中、プレイングマネージャー的存在として、チームをまとめていただいた
福井さんの功績は計り知れないほどです。


選手、自らが考える。

新人であろうと関係なく、皆がチームのために意見を出せる空間。

そして皆で実践する。

試合に向けての考え、そして狙いをメンバーで共有する。


そこにはまさしく

「自分達で作るフットボール」

がありました。

その中心にいたのが福井さんでした。


Xリーグの1部のチームは、コーチがたくさんいるようなチームばかり。


ある意味、当時のブルーインズの一部昇格の目標は、

「選手主体のチームがどこまで通用するのか」

というチャレンジでもあったように思えます。


そんなチャレンジが楽しくて楽しくて仕方がなかった。

振り返っても思わず、胸が熱くなりますね。


さて、前年、成し遂げれなかった

「一部昇格」


この年の対戦相手は、今でも一部リーグで存在感を発揮する

アズワンブラックイーグルス


ブルーインズがチカラをつけたと言えど、

まだまだ格上の相手。


だが、昨年の入れ替え戦で1部のチームの尻尾を掴んだことで自信をつけた

ブルーインズはひるみませんでした。


1年間の思いを全てぶつけ、

最終クオーターの残り数分まではリードしてました。


しかし・・。


最後の最後で地力の差を見せつけられて逆転負け。


悔しくて涙しました。


後に振り返って思ったのが、

社会人でフットボールを続け、涙を流せるほどに一生懸命に
打ち込めることがあるのは本当に幸せなことだって。


厳しい現実を突きつけられたブルーインズ。


でも、負けた現実を受け止めるのに必死で何も考えることが出来なかったけど、

時間が経つに連れて、

「3度目の正直」

を皆で目指す決意が固まってきました。


シーズンが終わって、新たな年が始まり、

思わぬ出来事を機に、

ブルーインズが一部に昇格する報を受けることに。


  

Posted by kosshii46 at 12:56Comments(0)社会人の振り返り
あれよのままに10回目を迎えました。

こんなに長くなるとは予想外です(笑)

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第九回 【ブルーインズの躍進(2000)】


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少しづつ、仕事にも馴れていき、営業も独り立ちできるようになりました。

でも「営業」という名の「御用聞き」ですね。


宝飾業界の大きな特徴として、

「委託販売」

が挙げられます。

我々のように商品を作る、製造卸は、

実際、販売のフロントとなる、小売店に対して、

商品を貸し出すのです。


そして、それがユーザーに対して売れて初めて納品と言う形で
売上となるのです。


小売店の立場からすれば、

お客さまの要望に耳を傾けて、

自社の在庫になければ卸問屋各社に商品を問い合わせを
して取り寄せて商売をすることが多いんです。


また小売店の販売員とお客さまは密接な人間関係で成り立ってることが多く、

「何を買うかよりも誰から買うか」

商品の特性上、そういった傾向が顕著な業界でもあります。


一方、お客さまからすれば信頼できる販売員の提案を
とても受け入れる傾向があるんですよね。


つまり裏を返せば、販売員は自分の好きな商品をおススメできるわけです。


そこからが面白いところで、

先の委託販売の性質上、

売れる販売員にはたくさんの商品が集まるわけです。


そして売れる販売員も人間ですから、

商品の良し悪しに加えて、卸問屋の担当との人間関係が絡んで、
「この問屋の商品を売りたい」

そんな意向が働いてくるんですよね。


もしかしたらどの業界でも、そういった人間関係の濃さが
影響してくるのは必然なことかもしれませんが・・。


そんなわけで、結構人間関係を築くのに苦労を重ね、

そして理不尽な思いをすることもありました。


またお店がセールなどのイベントをするときには

まとまった商品を貸し出しをしたりします。


そのセール期間が終わった後に商品を返却回収するのですが、

その回収の際に貸し出した数と同数が返却される。


いわば、商品が売れてないことを示しており、

我々の業界では

「ボウズ」

と称したりもしますが、そんなことも多々ありました。



ちょっと説明が長くなりましたが、

非常に

「他力本願」

的な要素が強い商売の仕組みであったと思います。


また一方で、多くの商品を在庫を持つ必要があるので、

非常に在庫金額も膨れ上がり、リスクの高い商売であることも

特徴だったと思います。


在庫してる金額分を、利回りの高い金融商品に投資してる方が
ええんちゃうのって思ってしまうようなビジネスモデルでもあります。



今となってはこうやって冷静に商売の仕組みを分析できますが、

当時の自分はまったくそんな意識もなかったと思います。


お恥ずかしながら、

会社の損益分岐点であったり、

キャッシュフローであったり、

経費がどれだけかかってるねん

などほとんどがわかっていなかったように思えます。


今、思い起こせば、驚くほどに意識の低い宝石屋の二代目

だったのかなって思います。


よく、父親から

「サラリーマン根性が抜けてない」

そう叱咤されましたが、当時はそんな声も右から左。


後になって父親の言うことがごもっともだと気付くようになるのですが・・



着実に業界は衰退の一途を辿ってました。


それも今、思えばわかること。


当時は、何の危機感もなく、平凡な会社生活を送るのみでした。



それから数年後、とんでもない危機が会社に訪れることを
知る由もなく・・・。





  

Posted by kosshii46 at 10:39Comments(0)社会人の振り返り
今日はフットボールの話です。

どうぞよろしくお願いします。


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さて、話をプライベートに戻したいと思います。

いったりきたりでスイマセン・・・。


僕が家業に入った2000年。

阪急ブルーインズは躍進を遂げる年となりました。


前年は2部リーグで4位。

そのチームが、一気にリーグ優勝まで辿りついたわけです。

内外電機マーヴィーズ

千趣会フューチャーズ

そして、今でも凌ぎを削るライバル

名古屋サイクロンズ


なかなかチームとして越せない壁を

あれよあれよのままに撃破していった年です。


チームの戦力は徐々に充実していったものの、

まだまだリーグ優勝をイメージはまったく出来てなかったけど、

一戦一戦を経るごとに、チームの、そして選手個々のモチベーションは
最高潮にあがっていきました。

「チームの勢い」をまさしく感じる年となりました。


個人的にも家業に入った年。

本来なら死に物狂いで仕事を学ぶべき年だったかもしれませんが、

きっちり定時に退社、週の大半をスポーツジムに通い
トレーニングしてた記憶があります。


会社でもそっと人の目を盗んでは相手チームの分析をしてたことも
今となっては白状できますね(笑)


父親も後にアメフトとの両立について言及することもありましたが、
基本的には寛容で自由にやらせてくれました。


こぼれ話として、父親は関西学院のOB。アメフトのOBではないですが、
今でもシーズンになると関学ファイターズそしてNFLの動向には目を光らせてます。


そんなファイターズファンの父親にとって、関学を日本一に牽引した、
そして後にブルーインズの大黒柱となるランニングバック井岡 淳。


その井岡と息子が一緒のチームでアメフトをしてるということが、
親父としても非現実的で嬉しかったんだと思います(笑)

もう少し息子の母校、カイザースにも興味を示してくれよ・・(笑)


さて、話は戻り、あれよあれよままに二部でリーグ優勝。

となると、想像だにしなかった「入れ替え戦」の切符を手に入れたわけです。


相手はイワタニサイドワインダーズ。

奇しくも入社当時、友人に誘われたというのがこのチーム。


1部リーグのイワタニよりも2部リーグの阪急の方がアットホームで
楽しくフットボールができそう。


前述の平山先輩のお誘いもあって阪急に入部しましたが、

まさかこうやって雲の上のチームと対戦するなんて夢にも思ってませんでした。



正直、2部リーグの相手とはレベルが違う・・。

試合が始まって純粋にそう思いました。


でも、勢いがあって、怖いものなしのブルーインズは果敢にくらいついていきました。


また個人的に、その試合は本当に楽しかった思い出があります。


サイドワインダーズへの入部を誘ってくれた大学からの親友、岡谷謙三が
相手チームのオフェンスライン。

ラインバッカーである僕の目の前に位置するポジションにいたんです。


学生時代から速いし、強いし、上手い選手だったので、それは
コテンパンにやられたけど、

不思議と毎プレー、毎プレー、そんな仲間に挑んでいくのが本当に楽しかったです。


結果は僅差で敗北。


でも、阪急よくやった!!


周囲の評価はそんな感じでした。


何よりチームに関わるメンバーすべてが、

「来年こそは!」

そんな自信と希望に満ち溢れたシーズンになりました。


翌年のシーズンも思い出に残るシーズンになったので、
書きたいところですが、ちょっと長くなったので次の機会に。








  

Posted by kosshii46 at 11:03Comments(0)社会人の振り返り
今週も、できるだけ・・・。

がんばって更新します!どうぞよろしくお願いいたします。

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第七回 【決断~リスタート(2000)】


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さてと、勤めていた会社を退職し、

家業に戻ってきました。


僕の生まれ育った町。島本町。

大阪の外れのちいさな町。


そこが再び生活の拠点となりました。


週末になると、よく帰ってたのですが、こうやって改めて、暮らすとなると、

「やっぱ落ち着くなあ~」

そう思ったりしました。


会社のある大阪・南船場までは約50分の電車通勤。


これもまた学生時代に慣れ親しんだ、阪急京都線。


とても感慨深く感じたような気がします。


会社は、当時、

社長である父親。

そして番頭さん。事務のおばさんの3名体制。


とは言っても、その番頭さんも事務のおばさんも、

家族みたいなもので、僕の赤ん坊の時から知ってるような方。

「やっくん、やっくん」

と昔から可愛がってもらってたので、自分が今、二十歳を超えて、

家業に戻ってきて、そのお2人と一緒に仕事をするというのがウソのようにも思えました。



当時の「越野 宝商」の仕事の内容を振り返ると、

・ ルビーやサファイヤなどの色石(カラーストーン)と言われる製品を作って
 宝石の専門店やデパートに販売する仕事。

・ 時計のシチズンの宝飾会社があり、そちらの代理店として、シチズンの結婚指輪や
 婚約指輪を同じく宝石の専門店やデパートに販売する仕事

・ シチズンが主催する宝石の展示会があり、その展示会に得意先に参加していただき
 エンドユーザーさんを勧誘していただくフォローの仕事。


そんな感じでした。

宝飾の卸の仕事になりますね。


右も左もわからずに飛び込んだ、この業界。


最初は、ルーペの扱い方から教えてもらいました。


ルーペってご存知ですか?

虫メガネのもっと小さいやつで、石をジーと見つめるシーンは思い起こせるかと思います。


あとは短期の宝石の学校のようなものにも通わせてもらいました。


そこで石の判別の方法だったり、宝石の基本を学びました。


でもあとから考えたら座学よりも、実際に商売をする過程で学んだことの方が
よっぽど身についたような気がします。

学校の講師の先生すみません。



宝石の勉強と並行して、

番頭さんに連れられてお得意先さま周りをしました。


多くのお客様は、

「越野さんの息子さん」

ということで、普通の会社の新入社員とは違った形で、

スムーズに受け入れていただきました。


中には僕のちいさい頃から知っていただいてる方もいます。


その中で、よく言われたのは

母親の葬儀の時のこと。


僕が20歳の冬に母親は病気で他界しました。


その時の葬儀には多くの得意先の方が参列してくださいました。


2月の相当寒い日柄だったこと。


そして僕の学生時代のアメリカンフットボールの先輩、後輩、そして同僚が
たくさん来ていたことが、

ご参列いただいた方にとてもインパクトがあったようです。


体が大きい!っていうジェスチャーをしながら、

「あのお母さんのお葬式のときは寒かったなあ~、そして、大きな身体した
お友達がたくさん来てたよね」

って感じのお声を多くの方からかけていただきました。



ちょっと余談になりましたが、

これから商売をするというより、

今に至る生い立ちをお客さまにお話させていただくことから、

越野宝商でのスタートが始まったように思えます。



こういう恵まれた環境にあったので、

特にストレスを感じることもなく、新たら生活がスタートしました。



何より、新鮮だったのが、

・ 会社がオフィス街で、ランチ頃になると街頭で弁当売りがたくさん出店されてること。

・ 見事に定時にさようなら。17時半だったかな・・。

・ 帰りに梅田や心斎橋でブラブラできること。


なんてお気軽なんだ・・・。


そんな感じの、家業でのスタートです。
  

Posted by kosshii46 at 10:49Comments(0)社会人の振り返り
こんにちわ~。

今日はバレンタイン!

期待はしてませんよ~。

ホントですよ・・・。

ホントに・・。

さて、今日も張り切って連載企画更新です。


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少しずつ募る思い。


その思いは止まらない。


会社を辞める決断をしました。


もちろん後のことを何も考えずに決断したわけでなく。


零細でありながらも、実家が会社を経営してました。


ご存知の方も多いかと思いますが、

「越野宝商」

という宝石の卸をメインにした会社です。


その会社のお手伝いをする。


要はいずれ跡を継ぐという決断です。


サラリーマンとして過ごす生活に漫然と不安を抱いたのも事実。


でも一方で、父親が築いてきた会社が、いずれ跡継ぎの存在がなく
いずれ廃業というカタチになるであろう。

どこか寂しい思い。

初めてそんなことを考えたのもその頃でした。


そういう思いが折り重なって、退職の決断をしました。


支店の方が、そして寮の仲間が、同期たちがそれぞれに
送別会を開いてくれました。


退職することをすごい惜しんでくれる人。


新たな道のスタートを祝福してくれる人。


色々でしたが、その会社で多くの人に出会えたことを
心から感謝したことを今でも忘れません。


同期の送別会で、同期のO岡クンがとあるお店でボッタクられたことも忘れません。


寮の仲間に感謝の気持ちを伝えるために下駄箱に手紙を入れたことも忘れません。


お世話になった会社への未練はなく、


父親の会社を手伝って喜ばしてあげるぞ。


そんな思いを強くし、前に進みました。



でも、実は、「宝石の卸って何やるの?」

今までにあまりにも家業に関心がなかったために、予備知識もまったくなく。。


当然の業界の未来を予想するようなことすらなく・・。


これを世の中でいう

「ぼんぼん」

というのでしょうか?


実際、超零細な会社なので、

「ぼんぼん」

とか、その類のことを言われるのは心外なのですが、


実家が商売をやってて、会社をやめる。


その事実だけ見ても、「ぼんぼん」と呼ばれるに相応しいのかもしれませんね。



そんなこんなで前途多難な、

新しいステージでスタートを切りました。



ちょうど2000年の初夏ごろだったと思います。


今日はこのへんで。


恐らく次の更新は週明けになるかと思います。


引き続きよろしくお願いいたします。




  

Posted by kosshii46 at 11:16Comments(0)
今日も元気に更新です!!

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良くも悪くも要領を得て、

上手にサボりつつ、手を抜きつつ、営業の生活を過ごしてました。


もちろん、神戸の海を眺めながら昼寝するのは定番行事。


ホントに今、思うと、

「仕事のための仕事」

ってのが多かったなあ~って気がします。


報告書のたぐいのオンパレード。


新規顧客の進捗状況?


勝手にストーリーを作って報告することも。


結びの文章は、

「先方担当者が取引を検討中」


この言葉で結べば何でもオッケー!笑


営業という数字の世界に飛び込んでも、


実際、どれだけ自分が売上を作って、どれだけ利益を生み出して、
会社に貢献できたか。


そんな感覚はこれっぽっちもなく。


今、居る世界は売上、いや利益が自分の生活に直結していく世界。


だから当時の感覚ってのが思い出そうにも思い出せない・・。


何も考えず、ただ与えられたことをすることに全力疾走してたのかもしれません。


記憶が定かではないけど、

営業を始めて1年ぐらいたったとある日。



上司から呼び出されて、異動を告げられる。


行き先は、


同じ神戸支店管轄の


「加古川営業所」


おいおい、昼寝の常習犯へのお仕置きか・・・。(加古川営業所の方すいません・・)


わずか3人ほどで運営される、ちいさなちいさな営業所。


「えっ、加古川!!?」

思わず口に出てしまうほどの衝撃。



真意のほどは今となってもわかりませんが、


上司曰く、


神戸の西地区~姫路には大きい企業が立地していて、

今後、営業戦略の重点地域になるから。


いわば、「抜擢」なんて都合のよい言葉を使われたけど、おかしい。


たいして数字も成果もあげてない平凡な営業マンに

「抜擢」はないやろ。


そう心の中でつぶやきながら、家路に着いたことを今でも忘れません。


西宮の寮から、阪急電車に乗って三宮まで、JRに乗り換え、東加古川駅。

そして恐るべきことにそこから徒歩で20分ぐらい歩いた加古川バイバス沿いに

事務所がありました。


往復 3時間半ほどの生活が始まりました。


楽しみは営業中に

「もっこすラーメン」

を食べることぐらい。


事務所を移っても、夜遅くまで働く風土には変わりなし。

これは社風なのなか・・。


でも、残念ながら、終電のことを考えると、

事務所を22:30ぐらいには出ないと間に合わなかったはず。


もちろん寮に戻るのは日付をまたぐ。



あの1年はキツかった。


今でもそう思います。


おかげで播但地区と言われる地域の土地勘は強くなりましたけどね。


西は遠く赤穂、北は中国道が通う山崎町まで。


来る日も来る日もロングドライブ!!


「ポプラ」というコンビニによくお世話になりました。


おかげさまで、M電機さん含め、U電機さんなど、大きい企業の担当をさせて
もらい、それはええ勉強になったのもこの1年間。



でも、いつの間にか、

「海外で働きたい」

そんな入社当時の夢も考えなくなり、


漫然と働く日々に疑問を感じるように。


平日はプライベートもなく、唯一の楽しみは週末のフットボール。


ふと、心の中で、


「会社辞めようかな・・・」


そう思った瞬間から、日々思いは強くなっていくもの。


大きな決断が近づいてきました。


今日はこんなところで。





  

Posted by kosshii46 at 13:40Comments(0)社会人の振り返り

あれよあれよと五回目に。

引き続きよろしくお願いします!!

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回 【阪急ブルーインズとの出会い

第四回 【人事異動(1998)】


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がむしゃらに営業に走る毎日。

でも、それは今、思うと

「営業」

と呼べるほどのものでなく、


単なる、お客さまの「御用聞き」程度のものだったと思います。


自分の会社のストロングポイント

だったりとか、

よく言われる「自分の強み」


そんな風に分析さえ行わずに、

ひたすらお客さまのところに通って、

頭を下げる、

いわば「お願い営業」。

まあ、それはそれで当時においては仕方なかったのかもだけど、

もし今、同じ営業を今の自分がするとしたら、

もっと色んな工夫ができるような気がします。


これは「たられば」って言うんでしょうね(笑)


仕事は内勤時代とはうってかわって多忙を極めつつあったけど、

そんな生活の中での楽しみが、


週末の遊びとフットボール。


同じ寮に住んでた、同期の竹内 剛と石塚 康一郎。

その2人とは本当によく遊んだ思い出があります。


剛にいたってはブルーインズの同期でもあったので、

本当に兄弟のように行動してたような気がします。


夏なんかは、深夜に車で寮を出て、

海に遊びに行き、

精一杯遊んだ後、昼すぎには海を後にして、

夕方からフットボールの練習。


今、思うととてつもない体力、そしてバイタリティがあったように思えます。


また、その頃には、剛の学生時代からの後輩であり子分的な向 和久が

ボクと同じ支店に配属され、そしてブルーインズにも加入。


後にチームを引っ張る彼を含めて有望な新人が多数加入。


まだまだ、上のリーグを目指すには程遠かったものの、

どこか可能性を感じるチームになりつつあったのもちょうどその頃だったと思います。


仕事もプライベートも順調そのものに思えましたが・・。


昔で言うと、

「そうは問屋が卸さない・・・」(笑)


ボクに試練が待ち受けてました・・・。


今日はこのへんで。

  

Posted by kosshii46 at 10:38Comments(0)社会人の振り返り
今日も頑張って更新です!

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回【阪急ブルーインズとの出会い


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フットボールから話戻って会社の話。

新入社員当時、

僕の名前、「越野」を

なぜか「磯野」と間違う先輩がおられ、それを発端に、

なぜか、社内でのあだ名が

「カツオ」(笑)


ただそのニックネームも浸透せず、その会社にいた頃だけのあだ名に(笑)


ただ、今でも当時の会社関係の人と会えば、

「カツオ」と言われます。


なんか不思議な感じですね。


さて、いたって単調な仕事を日々繰り返す毎日。

会社の売上とか利益。


そんな意識はまったくなく、ひたすらに目の前に与えられた仕事をこなすだけ。


よく、こんなで大切なお給料もらってたな・・と今になって気づくこと多し。

すみません、阪急交通社さん。。。


パソコンのブラインドタッチのみ飛躍的に向上。


今の仕事にものすごく役立ってるので、どこでどう自分の経験が役に立つかはわからないものですね。


ただ、そんな時期に少しづつ、少しづつ、社内の越野に対する評価が囁かれるように・・・

「あいつは営業向きだ」


そこには何の根拠もない。

身体がデカイ?声がでかい?


その程度でしか会社に存在価値を示すことのできない当時の僕。


そういった風潮が後押ししたのか・・・。



ついにその日がやってくる。


そう、営業課への異動。


1年ほどの通関課での仕事に別れを告げる。


配属されたのは同じ神戸支店の営業課。


ただ、同じ支点と言えど、拠点は三宮の事務所。


仕事の中身はともかく期待しました。


「いよいよ神戸の都会での仕事!!なんか格好エエやん!」


思いっきり期待は裏切られました・・・。


三宮のひとつ大阪よりの駅。「春日野道」より徒歩5分。


それならまだ言いのですが、なんと事務所は高架下の
仮説のような事務所・・。

「おいおい・・」


そこには8名ほどの営業の人がデスクを並べ、眉間にしわを寄せながら
電話対応や書類作成にいそしんでおられました。


同じ支店ということで、まったく知らない人ではなかったので、
特に違和感なく営業課での生活がスタートしました。


先輩社員に同行して、お客さま周り。

そこで営業のノウハウを吸収。


木村さんという先輩がとても親切に教えてくれました。

以後、フィリピンに駐在したと聞いてますが、今どうしておられるんだろう・・。


2週間ほどの同行期間を経て、晴れて独り立ち。


車を与えられて、お客さま周りが始まりました。


世間話しか出来ないダメ営業マン。

でもはじめはみんなそんなんかもしれませんよね。


今の時代でしたら、すぐに結果を求められるのかもしれませんが・・・。


今だから言えますが、適当に仕事を終えて、神戸の第一突堤あたりに
車を停めて昼寝をしたものです(笑)時効ですね。


お客さまと話すのもキライではない。


適当にサボれる。


営業。決して悪いところではないな・・・。


なんて思ってましたが、事務所に帰ると、

それはそれはつらいんですよね~。


みんなとりつかれたからのようにパソコン向かって仕事をしたり
上司に報告したりしてるのです。


夕方6時。


前の内勤のときには、そろそろ帰ろうかなって時間だったのが、

その事務所にとっての夕方6時は、いよいよエンジンかける前の段階って
感じでした。


誰も帰らない・・・。


となると僕も帰れな~い。


パソコンに向かって、仕事をしたフリをすることがどれだけ
多かったことか・・。


今まで寮の談話室の番人だったボクも、

ついにテーブルに残された寮母さんの作ってくれた食事を
独り寂しく食べることが多くなりました。


でも、そんなハードな営業課での仕事も

ほんの序章にすぎず・・。


とんでもない状況に自分が進んでいきました。


今日はこんなところで。






  

Posted by kosshii46 at 11:25Comments(0)
引き続き、社会人生活を振り返ります。

今日は、社会人生活でまさかこれほどまでにウェイトを占めることになるとは
予想もしていなかった「阪急ブルーインズとの出会い」を。

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】


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ビジネススキルが乏しい・・

という現実に気づかされるも、比較的、順風満帆?に進みだした社会人生活。


特に大きなストレスを感じることなく、(アル中の上司対策を除く)

日々が過ぎていきました。


気持ちにちょっとしたゆとりができたのかな・・


「フットボール、社会人でもやろうかな・・」


そんな思いに。


ちょうど、その頃、大学のアメフトの同期のお誘いもあって、

社会人リーグ(現在のXリーグ)のチームに見学に行きました。


1部リーグのチームということもあって、

アメフトが決して優秀ではない、自分が・・との思いもありつつも、

せっかく誘ってもらったので、ということで入部しようと心に決めてました。


ただ、そんな時に、阪急グループのチームである

「阪急ブルーインズ」

に所属しておられた、大学アメフトの大先輩、平山先輩が

突然、僕の寮までお出でになられました。


自分の後輩がグループ会社に入社した。


そんな情報を掴まれたのでしょうね。


寮の近くにお住まいだったということもあってか、トレーニングウェアを
身にまとい、ランニングでこられた姿は今でも忘れられません。


「越野、一緒にアメフトやろうや!」


それだけでした。


後に知る、平山さんの熱さ、そして人を惹きつけるカリスマ性。


その時も、なぜか心惹かれるものがあり、ブルーインズに入部することを決めました。


後に回想すると、ブルーインズは自分の生活に大きな影響を与えるものとなりました。


もしブルーインズに入ってなければ、もしかしたら会社も辞めてなかったかもしれない・・。


そうなれば、今の友人とも、強いては自分の今の家族にも出会えてなかったかもしれない・・。


そう思うと、平山さんの存在は僕の中では偉大で、
今でも感謝の気持ちでいっぱいです。(ご本人からすれば単なる、後輩の一人だと思いますが・・・)


そんな動機を経て、入部した阪急ブルーインズ。


当時は2部リーグ(2ブロック制)の中位ぐらいのポジション。

リーグ全体で見れば10番手ぐらいのチームだったと思います。


後にクラブチームとして門戸が開かれますが、当時はグループ企業の社員のみで、
形成されるチームでした。


練習はというと、メンバーの多くが不定休の百貨店勤めだったため、
平日の夕刻に行ってました。


場所は昔の江坂カーニバルプラザにあるグラウンド。


そこに、がんばって早く仕事を切り上げ、スーツ姿で集まってくるわけです。


練習の開始には2、3名でも、きづけば20人以上のメンバーが揃ってくるわけです。


同じグループ企業内のメンバーということで、非常に結束力が高いチームだったと思います。


また、僕の入部した年は同期メンバーが多く、また、学生時代1部でプレーしていたメンバーも
多かったせいか、チームの側からすれば「新人豊作の年」だったと思います。


学生時代にはコーチもいて、マネージャーもいて、いわば全てがお膳立てされた
フットボール。

自分が与えられた責任を何とかして果たすことに全力投球をしていました。


ただ、その江坂のグランドで出会ったブルーインズのフットボールはまったく別のものでした。


フルタイムのコーチがいるわけでなく、全て選手が考え、そして実践するフットボールでした。


それが良いか悪いかの議論はさておき、とても新鮮な環境でもありました。


また、新人であっても、常に意見を求められ、その意見を尊重してくれる。
そんな風土があったのは「ブルーインズのチームが持つ歴史と温かさ」だったと今になって思います。


さらには、学生時代はライバルとして戦った相手と社会人になって同じチームでプレーできる。


そのようなチームに魅力を感じ、どんどん惹き込まれていくようになりました。


今日はこんなところで、

せっかくの回想録なので、

仕事のことと並行して、フットボールのことも綴っていこうかなと・・。


最後まで「無理のない程度」でお付き合いくださいませ。





  

Posted by kosshii46 at 17:44Comments(0)
社会人の振り返り。

第一回を更新したところ、思わぬ反響をいただいたんで、
二回目以降を更新するモチベーションになります(笑)

引き続き徒然なるままに・・・

今日は第二回です。

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

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パソコンがまったく使えない・・・。

そんな前途多難の中、始まった社会人生活。


日々の仕事はひたすらパソコンと向かい合って

通関書類の作成。


そして税関検査の立会い。


不思議なもので、毎日、多くの時間をパソコンと向き合ってると
タイピングも早くなっていくものですね。


今、こうやって高速で話をするかのようにブラインドタッチでスムーズに
タイピングできてるのはこの新入社員時代の学びの恩恵といっても過言ではありません。


先輩社員に恵まれ・・・。


いや、確かに恵まれていたのですが、唯一厄介な存在が・・。今だから暴露できますが・・。

U係長。

酔拳を使う猛者!

冗談はほどほどに。


まさしく、あれは「アルコール中毒」だったんだと思います。


顔を赤らめて仕事をしてることしばし。

よく上司に注意を受けたこともあったのですが、上司も注意しきれない理由があって。


仕事が出来るんですよね。


あの人に救われた通関業務、数知れずだったと思います。当時は。


グッと我慢し、そのU係長に仕えていたのですが、

一度だけオフィスでキレたことが。


「酔っ払って仕事する人と一緒にできませんよ!!」って。


思わずシーンとなりましたね。


本来、そんなことがあれば、とんでもない仕打ちを受けそうなんですが、

想像に反して、結構、U係長から好かれていたようです(笑)


後で出てくる寮に晩方、いきなり酔っ払った姿で現れたときは驚愕でした。


そんな人間関係を抱えながら、送った新入社員時代。


幸いにも通関業務というのは税関あってのお仕事なので、ある程度
時間が決まってました。


そのため、比較的早い時間に仕事を終え帰路につく日が多かったように思えます。


そして、実家(島本町という大阪のはずれ)と六甲アイランド。

ちょっと通勤がしんどい・・

ということもあって、会社の寮に入ることになりました。


西宮。阪神競馬場の近くですね。

「直心寮」

と言われる会社の寮がありました。


よく、「まごころ寮」なんていわれることがありましたが、


違います、よく見てください。

「じきしんりょう」

と呼びます。


そこはまさしく昭和な雰囲気で、

寮母さんがおられ、いつも美味しい料理を食べさせてくださいました。

ボリューム満点の料理は食べ盛り?の僕にとっては最高のものでした。


そこで生活を共にし、生涯の親友とも思える2人との出会いがありました。


竹内 剛

石塚 康一郎


あとでこのサラリーマン生活を振り返ったとき、この会社で得たもの
で一番大きかったのはこの2人を含めた仲間だと今でも思ってます。


学生の延長のようなノリでアホなことをいっぱいしました。

アメリカに一緒に旅行にも行きました。


そして、マジメ君な僕は会社と寮の往復。

寄り道できる環境になかったってのが正直なところですが。


いつも寮の談話室のソファーにふんぞりかえって、

彼らの帰宅を待ってました。


そして、遅くに帰宅した彼らと一緒に、会社であったことや、
プライベートなことを夜遅くまで語らう日も少なくありませんでした。


気づけば、揃ってうたたねをしてたこともしばし。


同期の2人以外にも、

先輩、後輩と過ごす日々は面白おかしく、今思えばすごいよい環境に
いたなあ~って思います。


今は残念ながら、その寮はありません。

一緒にみんなで記念撮影でもしておけば良かったなあ~って思います。


このご時勢。多くの会社が寮などの資産を売却する傾向にありますが、

寮という存在が目には見えない大きな価値を生み出す場所で
あるということを訴えたいですね。


今日はこんな感じ。


次回は僕のその後、20年近く関わることになる、

「ブルーインズとの出会い」

について。









  

Posted by kosshii46 at 10:23Comments(0)社会人の振り返り
ふと社会に出てから、今までを振り返ってみる機会がありました。


色々な経験や色々な人との出会いを重ねて今に至るわけですが、
今、ここで自分のお店を構えて仕事をしてるのが嘘のように思えたりもします。



自己満足的ですが、社会に出てから今までを連載で振り返ってみたいと思います。



読み物的に目を通していただいてもいいですし、


お店をご利用いただいてるお客さまには
「越野ってこんな人だったんだ・・」って思っていただければ幸いです。



また商売をされてる方でしたら、比較的近い境遇に置かれてる方もいるかも
しれません。そんな方の参考になれたら嬉しく思います。


第一回は

【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

「海外で働くチャンスのある会社」に。

そんな漠然とした願いを持って入ったのがこの会社。


「トラピックス」などの商品で有名な旅行会社

ってのが一般的ですが、

この会社の「旅行部門」と並列してるある事業

「国際輸送部門」と言われる部に働くことに。


「人」を海外に送るのが旅行。

に対して、「荷物」を海外に届ける手配をするのが「国際輸送部門」って

説明でいいかな。


配属は「神戸支店」

一見、オシャレやんって思えますが、三宮などの繁華街ではなく、

六甲アイランドの海を一望できる港湾地区のターミナル(笑)


実はこの配属については、会社に感謝です。


「関西の出身」で「関西の大学を卒業」した新入社員は


基本的に最初は関東配属に。


当時、よくわからないシステムがありました(今はどうなんかな・・)


その中で、僕は唯一、例外的に関西に配属されたわけです。


学生時代に母親を病気で亡くして、父親が1人になるので、
できれば関西で。


そんな意向を会社が汲み取ってくれたのでしょうか。

本当にありがたい話でした。



さて、配属された部署の仕事の内容は

「通関業」

企業の荷物を海外に輸出入する際には税関に申告をする必要があります。


その税関への申告書類を作成するのが、通関業の仕事の1つになります。


つまりは内勤です。


最初に部署に配属されて教わったことが、

パソコンの使い方。


学生時代はアメフトばっかのいわば筋肉バカ。


今はスポーツだけでは社会も認めてくれない時代になってると
思いますが、当日はそんな人でも許されたわけです(笑)


レクチャーしていただいた先輩社員に

「マウスって何ですか?」

って質問した時に驚愕の表情をされたのを今でも覚えてます(笑)


そんな感じに、前途多難で始まった社会人ライフ。


一体どうなることやら・・・。


第二回に続く。





  

Posted by kosshii46 at 10:38Comments(0)社会人の振り返り
お店を始める時に迷ったこと。

「お店を予約制にするかどうか・・」

結果、予約制にすることにしました。


決して安くはない、商品、サービスを提供する業態のお店なのに、

予約制ってことでハードルがあがったりしないか・・。


そんあ不安はあったものの、

・ 人やお店のスペースの都合上、一度に複数の接客するのは難しい


そんなお店側の事情があったので、選択というより、当然の流れになりました。


でも、結果として、良かったのではと今となっては強く感じます。


ありがたくも多くの方が、きちんとお電話もしくはメールでご予約をしていただいてます。


これは正直、意外でもあり嬉しい悲鳴となりました。


何も連絡せずにキャンセルされる方もほとんどおられません。


本当にお客さまには感謝です。



来られたお客さまには1時間の枠を設けて、ゆっくりとお話を聞かせていただいてます。

中には宝石のことが以外の話に及ぶことも多々ございます。


予約制にしたからこそ、このようにゆっくりとコミュニケーションが取れるんだと思います。


また、お客さまのご来店日時が決まってることにより、

事前の準備がしやすくなりました。


既に存知あげてるお客さまならば、以前のご依頼実績などを復習する時間をきちんと確保できたり。


ある程度の接客時間が視覚的にわかるので、自分自身のデスクワーク等の仕事も
とても効率的にすることができてます。


しばらくはこのシステムで続けていこうと思います。


ただ誤解のないようにお伝えしておくと、

決して厳格な予約システムがあるわけではございません。

(そんなことしたら本当にお客さまが少なくなってしまいそうな・・)


「今から行っていいかな?」


そんな感じのご一報をいただければ嬉しく思います。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。





  

Posted by kosshii46 at 13:00Comments(0)日々のできごと