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ちょっとあいてしまいましたが、更新です。

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回 【阪急ブルーインズとの出会い

第四回 【人事異動(1998)】

第五回 【上昇気流(1998~1999)】

第六回 【西へ・・(1999)】

第七回 【決断~リスタート(2000)】

第八回 【越野宝商に入社(2000~2001)】

第九回 【ブルーインズの躍進(2000)】

第十回 【意識の低い宝石屋の二代目(2001~2005)】

第十一回 【阪急ブルーインズ二度目の挑戦(2001)】

第十二回 【阪急ブルーインズXリーグ昇格(2003)】

第十三回 【まさかの悲劇(2004~2006)】


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得意先の倒産。


目を背けたもなりましたが、現実を受け止めるしかありませんでした・・。



回収できないお金。


それは言うまでもなく、会社にとって死活問題だったのですが、


毎月の売上がグンと減ってしまうというダブルの問題を抱えるようになりました。


それから社長である、父親は


金融機関、税理士さん


その他、使えるブレインを総動員して不良債権の手当てに奔走しました。


そのあたりの詳しい話については隠すわけではないですが、
非公開とさせてください。


そして、先のブレインの中には弁護士の先生も含まれております。


フットボールチームに畑 さんという弁護士の先生がおられました。


同じポジションということでとても親しくさせていただいてました。


そんな異色のフットボーラーでもある畑先生にも当時、色々と
動いていただき、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。


不思議なご縁ですよね。



その過程の中で、父親が考え、そして下した決断は、


「泰明(僕)に別会社を作らせて独立させる、

そして今の会社は緩やかにランディング(着地)させて廃業する」


というもの。


詳しいスキームを話すと、長くなりますが、


得意先、仕入先を全て、僕の会社に移行させて、
きれいな財務状況で1からスタートさせるというものです。



思わぬ形で、自分が社長に就くことになりました。


会社名は

「株式会社 ワイスタイル」


ワイ「Y」は自分のイニシャル。

そして、スタイル「style」は自分らしく


そんな思いをつけて新しい船出をスタートさせました。


得意先や仕入先、すべての理解をいただけたのも、
父親がよき関係性を築いてくれてたからこそ。


本当にそう思い、感謝の気持ちでいっぱいです。


資本金は100万円。


この後に及んでも父親のすねをかじってるダメ息子。


会社の実印を作り、


そして会社の登記をするところからスタートしました。




自分がやってきた会社を失う。


そんな父親の心中を察すると、心苦しいものがあったけど、

父親としては「代替わり」をするよいキッカケととらえ、
新会社の設立をとても喜んでくれました。


以降、父親は、こちらからアドバイスをもとめれば
色々と話をしてくれましたが、

それ以外は一切口を出さずに見守ってくれてます。


それは今でもそうです。


言いたいことの1つや2つはあると思いますが・・・。



得意先と仕入先。


ある程度の基盤がある中での起業。


恵まれていたと思います。そう考えるとゼロから起業した人
って本当にすごいなあっていつも思います。



いよいよ誰にも甘えることのできない、


自分が切り開いていかないといけない。


そんな危機感を持ち始めたのがちょうどこの頃です。






  

Posted by kosshii46 at 11:45Comments(0)社会人の振り返り