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お店での「パールフェア」も終わってひと段落

ブログは続けます。


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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回 【阪急ブルーインズとの出会い

第四回 【人事異動(1998)】

第五回 【上昇気流(1998~1999)】

第六回 【西へ・・(1999)】

第七回 【決断~リスタート(2000)】

第八回 【越野宝商に入社(2000~2001)】

第九回 【ブルーインズの躍進(2000)】

第十回 【意識の低い宝石屋の二代目(2001~2005)】

第十一回 【阪急ブルーインズ二度目の挑戦(2001)】

第十二回 【阪急ブルーインズXリーグ昇格(2003)】

第十三回 【まさかの悲劇(2004~2006)】

第十四回 【新しい船出(2008)】

第十五回 【誇らしい出来事】

第十六回 【大逆転劇(2003~2004)】

第十七回 【インターネットに挑戦(2008~2009)】

第十八回 【転機(2008~2010)】


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プライベートに話を戻します。


トップリーグに3年在籍するも、

再度、2部リーグに降格。


出直しを強いられた阪急ブルーインズ。


当然、皆の願いは

一年でトップリーグに返り咲くこと。


ただ、なかなか歯車が噛み合わず、

リーグで優勝することもままならないと年が続きました。


「どうやったら勝てるねん・・・」


昔からいたメンバーは、いつもそう嘆き、苦しみぬいた時期を送りました。


先にお話したように、会社が倒産の危機を迎えたとき、

ほんの少しチームを離れましたが、

多くの時間をブルーインズに注ぎ込みました。


勝てない苦しみはもちろんのこと、

この時期で一番つらかったのが、

一緒にがんばってきたメンバーが、

年齢のこと

体力のこと

そして、社会人という立場上、転勤などを理由に、

1人、2人とチームを離れていったこと。


とてもつらかったです。


でも、一方で、

転勤などはなく、そして父親のおかげで恵まれた環境にあった自分は、

「チームを止む無く離れていった仲間のためにもこのチームを一部に昇格させる」


そんな使命を持って、頑張ったのがこの時期だったと思います。


なかなか勝てなくても、

往生際悪く、来る年も来る年も、1部昇格に向けてがんばりました。


しかし、

寄る年波には勝てず

とはよく言ったものです。


2010年のシーズンを持って引退をすることになりました。


高校 3年間
大学 4年間
そして社会人で13年間。

20年間をフットボールの選手として過ごすことができました。


怪我も多くしましたが、こうやって20年間フットボールができたことは
今思っても幸せなことだって強く思いますね。


たいした選手ではない自分がここまで出来たのは、


自分で言うのもなんですが、

「無事是良馬」

のタイプだったのかもしれません。



そして翌年からは、

チームからの要請をいただき、コーチとして関わらせていただくこととなりました。

ありがたいことです。


一部に昇格できなかった無念を、違う立場で追い求めることになりました。


今日はこのへんで。



  

Posted by kosshii46 at 15:40Comments(0)社会人の振り返り