今日も元気に更新です!

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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回 【阪急ブルーインズとの出会い

第四回 【人事異動(1998)】

第五回 【上昇気流(1998~1999)】

第六回 【西へ・・(1999)】

第七回 【決断~リスタート(2000)】

第八回 【越野宝商に入社(2000~2001)】

第九回 【ブルーインズの躍進(2000)】

第十回 【意識の低い宝石屋の二代目(2001~2005)】

第十一回 【阪急ブルーインズ二度目の挑戦(2001)】

第十二回 【阪急ブルーインズXリーグ昇格(2003)】


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フットボールが充実してる、一方。

仕事は平凡な日々。


っていうより自身の意識の低さが平凡に思わせる大きな原因のひとつ。


今だから白状できますが、

感覚としては、週末のフットボールのために、

平日は仕事をしながら週末に向けて余力をつけてるという感じ・・。


一方、巡航速度でありながら、

宝石業界の色々なノウハウを身に付けたのはこのころだったと思います。



今でも宝石と言うと、海外に買い付けに行って買ってくるものというイメージを
多くお持ちの方が多いかと思います。


中には、「宝石がたくさん眠った鉱山を当てたら大金持ちちゃうの?」

そんな夢見話をされる方も多いです。


自分の会社も、ルビーやサファイヤなどの宝石が有名なカラーストーン(色石)
を中心にした製品を取り扱っていたので、


本来なら、定期的に海外買い付けが必要ではありましたが、


僕の入社時には信用できるブローカー(宝石を現地で仕入れてくる輸入者)から
買うことが多くなってました。


それ以前には父親もよく海外に行ってたようですが・・・。


つまりは、その時点で、国内で宝石を販売することが下降曲線を辿っていて、
買い付けにいくだけのコストが商品に転嫁できなくなってました。


実際、現地で宝石を見て学ぶのがベストではあったものの、
なかなか行く機会が少なくなり・・。


でも、父親が当時よく言ってたのが、

「たくさんの宝石を見ること、それが今後に繋がるんだ」と。


確かに、今は宝石のリフォームを中心としてお店をしてますが、

そこにお持ちになられる石のある程度の評価をできるのはこのころの蓄積があったからこそ
だと思います。


あとは、話が少し前後しますが、


この仕事を始めて、面食らったことが・・。


ほとんどの得意先の代金回収が、「集金」によるものでした。


それに加えて、小切手などをもらえるのは言いのですが、


中にはとてつもない回収サイトの「約束手形」をもらうことも少なくはなかったです。


当時は財務関係の仕事の100%を社長である父親がしていたので、
そこまで思わなかったのですが、


ほんのちょっと知恵と経験を蓄えた今の自分が振り返ると、

「なんて、リスキーな仕事なんや・・」

って思いますね。


ただ当時は、まだまだ日本経済の先行きもそこまで悲観されていなかったので、

商習慣として、売上回収に関する意識は今ほどなかったのかもしれません。


このリスクがいっぱい詰まった状況が、この後に飛んでもない会社の危機を招くことになります。


そんなこともいざ知らず、マイペースに仕事をしてました。


この頃には、なんとなく仕事にもなれ、

自分で仕事を生み出す術も身に付けるようになりました。


アメフトのチームに多くいた、

「阪急百貨店」の社員の人間関係を通じて、

デパートの催しなどに出品をするようになったのもこのころ。


自分の力でほんの少しですが、

会社の売上に貢献できるようになったのもこの頃でした。



そんな時に驚くようなことが起こりました。


大口得意先の倒産。


寝耳に水とはまさしくこのこと。


会社の危機管理が足りなかったといえば、それまでですが、
本当に突然のことでした。


有名デパートに入っている宝石店


早速、親父の指令を受けて、その宝石店の事務所へ
(事務所はデパートとは違うところにありました)


すると、人の気配すらなく・・。

確か、張り紙か何かが、張ってあったような気が・・。


本当に慌しい日々が始まりました。


何か、信じられない思いと、暗闇に突き飛ばされたかのような思い。

増長する不安との戦い。


一体どうなるんやろ・・・。


ノホホンと仕事をしてた、ツケが回ってきた。


そんな冷静に考えれるほどの余裕もまったくなく。


でも情けないことに当時の自分には、打開できるだけのチカラは
まったくなく、


親父の経営者としての判断に委ね、

自分はできることをするしか術はありませんでした。。。


「あの時には二度と戻りたくない」


今でも強く思ってます。


一方で、あの得意先の倒産が無かったら、今の自分はない。

そうとも思ってます。



日々、仕事をする中で、どうしても自分に甘えて楽をすることもあります。


そんなときに思い出すようにしてます。


目の前が真っ暗になって、路頭に迷いそうになったあの時のことを。








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