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今日はフットボールの話です。

どうぞよろしくお願いします。


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過去の記事

第一回 社会人生活の振り返り 【卒業~阪急交通社入社時代(1997)】

第二回 【直心寮(1997~1999)】

第三回 【阪急ブルーインズとの出会い

第四回 【人事異動(1998)】

第五回 【上昇気流(1998~1999)】

第六回 【西へ・・(1999)】

第七回 【決断~リスタート(2000)】

第八回 【越野宝商に入社(2000~2001)】


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さて、話をプライベートに戻したいと思います。

いったりきたりでスイマセン・・・。


僕が家業に入った2000年。

阪急ブルーインズは躍進を遂げる年となりました。


前年は2部リーグで4位。

そのチームが、一気にリーグ優勝まで辿りついたわけです。

内外電機マーヴィーズ

千趣会フューチャーズ

そして、今でも凌ぎを削るライバル

名古屋サイクロンズ


なかなかチームとして越せない壁を

あれよあれよのままに撃破していった年です。


チームの戦力は徐々に充実していったものの、

まだまだリーグ優勝をイメージはまったく出来てなかったけど、

一戦一戦を経るごとに、チームの、そして選手個々のモチベーションは
最高潮にあがっていきました。

「チームの勢い」をまさしく感じる年となりました。


個人的にも家業に入った年。

本来なら死に物狂いで仕事を学ぶべき年だったかもしれませんが、

きっちり定時に退社、週の大半をスポーツジムに通い
トレーニングしてた記憶があります。


会社でもそっと人の目を盗んでは相手チームの分析をしてたことも
今となっては白状できますね(笑)


父親も後にアメフトとの両立について言及することもありましたが、
基本的には寛容で自由にやらせてくれました。


こぼれ話として、父親は関西学院のOB。アメフトのOBではないですが、
今でもシーズンになると関学ファイターズそしてNFLの動向には目を光らせてます。


そんなファイターズファンの父親にとって、関学を日本一に牽引した、
そして後にブルーインズの大黒柱となるランニングバック井岡 淳。


その井岡と息子が一緒のチームでアメフトをしてるということが、
親父としても非現実的で嬉しかったんだと思います(笑)

もう少し息子の母校、カイザースにも興味を示してくれよ・・(笑)


さて、話は戻り、あれよあれよままに二部でリーグ優勝。

となると、想像だにしなかった「入れ替え戦」の切符を手に入れたわけです。


相手はイワタニサイドワインダーズ。

奇しくも入社当時、友人に誘われたというのがこのチーム。


1部リーグのイワタニよりも2部リーグの阪急の方がアットホームで
楽しくフットボールができそう。


前述の平山先輩のお誘いもあって阪急に入部しましたが、

まさかこうやって雲の上のチームと対戦するなんて夢にも思ってませんでした。



正直、2部リーグの相手とはレベルが違う・・。

試合が始まって純粋にそう思いました。


でも、勢いがあって、怖いものなしのブルーインズは果敢にくらいついていきました。


また個人的に、その試合は本当に楽しかった思い出があります。


サイドワインダーズへの入部を誘ってくれた大学からの親友、岡谷謙三が
相手チームのオフェンスライン。

ラインバッカーである僕の目の前に位置するポジションにいたんです。


学生時代から速いし、強いし、上手い選手だったので、それは
コテンパンにやられたけど、

不思議と毎プレー、毎プレー、そんな仲間に挑んでいくのが本当に楽しかったです。


結果は僅差で敗北。


でも、阪急よくやった!!


周囲の評価はそんな感じでした。


何よりチームに関わるメンバーすべてが、

「来年こそは!」

そんな自信と希望に満ち溢れたシーズンになりました。


翌年のシーズンも思い出に残るシーズンになったので、
書きたいところですが、ちょっと長くなったので次の機会に。








  

Posted by kosshii46 at 11:03Comments(0)社会人の振り返り