星野監督の泣かせるエピソード
2013年11月06日

楽天と巨人の日本シリーズ。劇的な展開で最高でしたね。
星野監督の指導者としての手腕がクローズアップされてます。
阪神が2003年に優勝したときもそうですが、星野監督の人間性を表す
幼少期のエピソードが出てきます。
この話を聴くといつもジーんときますね。
他文献からの引用ですがご覧ください
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星野仙一さんは、小学校時代を岡山県の倉敷で過ごされたそうです。
同級生に、筋ジストロフィーという重い障害を持った定金正憲君という友達がいました。
彼は学校に行くのをいつも嫌がって、お母さんを困らせていました。
星野さんと同じクラスになってからは毎日、喜んで学校に行くようになりました。
星野さんが定金君を毎日、背負って登校してくれたからです。
定金君は放課後も楽しそうに、星野さんが野球をしている姿を眺めていました。
星野さんはどんなに練習が厳しくて疲れていても、
練習が終わると、定金君を背負って彼の家まで送って行きました。
星野さんは学校だけでなく、遊び場にも定金君を連れて行きました。
雨の日には定金君が濡れないように、リヤカーに乗せて連れていったそうです。
定金君との交流は、小学校を卒業して大人になっても続きましたが
残念ながら、彼は41歳で亡くなってしまいます。
亡くなる少し前にも、定金さんは、
「がんばってください。優勝してください。いつも僕は見ています。」
と星野さんに話していました。
残念ながら、星野監督が優勝したのは定金さんが亡くなった2週間後でしたが
定金君のお母さんは
「息子が41歳まで生きられたのは、星野さんのおかげです。
息子はいつも星野さんの活躍を見て、夢と希望をもらっていたんです。
息子にとって星野さんは、同級生で神様だったんです。
息子は幸せだったと思います。感謝しています。」
と話しています。
幼い頃にお父さんを亡くされた星野さんの幼少時代は
恵まれたものではありませんでした。
貧乏だったので、お母さんが苦労してグローブを買ってくれた時に
これでグローブを借りないで野球ができると喜んだそうです。
そんな状況で、友達に尽くすことができたのは
元気に野球ができる幸せに気付いたからではないでしょうか。
持っていないものを嘆くよりも、与えられていることに感謝することの大切さを
友達から教えられたのでしょう。
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(ここまで)
この話を聞いて、僕は自分の息子にも
「不器用でいいから、心の温かい人間になってほしい」
そう思いました。
あっ、息子に期待するまえに、自分がそうならないといけないですね。
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Posted by kosshii46 at 10:30│Comments(0)
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